様式編 / 5章 反逆と多様
反逆と多様(ポストモダン/ニューウェーブ)
「少ないほど豊か」という一つの正解への反逆。装飾・混沌・感情・多様を取り戻したポストモダン。ヴァインガルト、グライマン、メンフィス、カーソン。ただし「知ってから破る」。
ねらい
前のクエストで、スイス様式という「正解」を手に入れた。グリッドに乗せろ、飾るな、一書体で貫け、客観的に伝えろ。きれいだ。強い。いまも世界中で使われている。
でも、ここで一つ問いが立つ。「正解が一つしかない」って、本当にいいことか?
このクエストのねらいは、スイス様式という正解に対して起きた反逆を理解することだ。1960年代から80年代、デザイナーたちは「整いすぎた世界」に飽きた。そして、わざと崩した。装飾を、混沌を、感情を、たくさんの正解を、取り戻した。これをポストモダン(=「近代(モダン)のあと」)と呼ぶ。
ただし、ここが一番大事だ。彼らはルールを知らなかったから崩したのではない。知っていたから、効く崩しができた。 序論で見た「まず継承、それから理由をもって外す」――その「外す」側の実例集が、このクエストだ。
「少ないほど豊か」への反逆 ―― less is more と less is a bore
まず、反逆の的になったスローガンから見よう。
モダニズム建築の巨匠ミース・ファン・デル・ローエの代名詞となった言葉が、**「Less is more(少ないほど豊か)」**だ。飾りを削るほど、本質が立つ。スイス様式と同じ精神で、これが20世紀なかばの「正解」だった。(ちなみにこの言葉はミースの発明ではない。彼が口ぐせのように使い、体現したことで有名になった。元をたどると詩人ブラウニングの一行にまで行きつく。だが「ミースの標語」と言えばこの言葉、というほど彼の名前と結びついている。)
ところが1966年、アメリカの建築家ロバート・ヴェンチューリが、本の中で真っ向から言い返す。「Less is a bore(少ないは退屈だ)」。 boreとは「退屈なもの・うんざりさせるもの」。たった一語を入れ替えた、見事な売り言葉だ。
彼の言い分はこうだ。世界はもっと複雑で、矛盾していて、ごちゃごちゃしている。なのに何でもかんでもシンプルに削ってしまうと、本質どころかただ味気ないものになる。人間味も、歴史も、遊びも消えてしまう。「単純化しすぎは、平板な建築を生む。少ないは退屈だ」――これがポストモダンの口火を切った一文だ。
これは建築の話だが、グラフィックデザインにもそのまま燃え移った。「整いすぎて退屈」という不満は、紙の上でも爆発する。次の節から、その現場を見ていく。
なぜ反逆が起きたか ―― 正解は、いつか退屈になる
そもそも、なぜ反逆は起きるのか。理由は単純だ。どんな正解も、長く続くと退屈になるから。
スイス様式は戦後の混乱に対する「正解」だった(前のクエスト)。でも20年も経つと、それが当たり前になる。当たり前になったものは、もう新鮮じゃない。世界中の広告も雑誌も、同じグリッド、同じサンセリフ、同じ無表情。**「全部おなじ顔」**に見えてくる。
ここで思い出してほしい。様式編を貫く見方は「新しい様式は、前の時代への反発として生まれる」だった。スイスがプロパガンダへの反発だったように、ポストモダンはスイス(モダニズム)への反発として生まれた。反発の連鎖。これが歴史の動き方だ。
大事なのは、これが単なるワガママではないということ。スイスは「自分(作者)を消す」のが誠実だと考えた。ポストモダンは逆に、「人間は本来ごちゃごちゃで、感情があって、多様だ。それを消すほうが嘘だ」と考えた。どちらも”誠実さ”を目指している。 答えが正反対なだけだ。
内側から壊した男 ―― ヴォルフガング・ヴァインガルト
反逆と聞くと、外から石を投げる部外者を想像するかもしれない。でも一番効いた反逆は、スイス様式の本拠地の、内側から起きた。
主役はヴォルフガング・ヴァインガルト(1941–2021)。彼はバーゼル――スイス様式を生んだ聖地(前クエストのエミール・ルーダー、アルミン・ホフマンがいた街)――の造形学校で、前クエストのエミール・ルーダーの後を継ぐ形で、1968年から教えた。つまり彼は、スイス様式の作法を完璧に知り尽くしていた。
その彼が、生徒たちにこう教えた。「掟を疑え。試せ。」 彼自身、スイスの掟を一つずつ崩していった。字間を異常に広げたり詰めたり、文字を何層にも重ねたり、写真をコラージュでぐちゃぐちゃに混ぜたり。整然としたグリッドを、わざと壊した。これがニュー・ウェーブ(新しい波)、別名スイス・パンク・タイポグラフィだ。「パンク」は、決まりごとを壊す反抗的な音楽のこと。
なぜこれが効いたのか。ルールを知り尽くした人が崩したからだ。序論のジャズの話と同じ。基本のコード進行を完璧に弾ける人が、わざと外す。すると「間違い」ではなく「個性」に聞こえる。ヴァインガルトの崩しは、めちゃくちゃに見えて、実は何を壊しているか分かっている崩しだった。だから新しい表現として通用した。
機械が筆になった ―― エイプリル・グライマン
ヴァインガルトの教えは、海を渡る。弟子の一人、アメリカ人のエイプリル・グライマンが、その波をアメリカに持ち込んだ。そして彼女は、誰も予想しなかった新しい道具で表現を広げる。コンピュータだ。
1984年、彼女はまだ出たばかりのマッキントッシュ(アップルの初期パソコン)に出会い、衝撃を受ける。当時、デザイナーにとってコンピュータは「事務の機械」でしかなかった。グライマンは違った。これは新しい筆だと直感した。
1986年、彼女は『デザイン・クォータリー』第133号「Does It Make Sense?(意味はあるか?)」を、マックで作る。使ったのは、当時のマックとMacVision(ビデオの映像をデジタルに取り込む仕組み)の組み合わせ。仕上がりは、折りたたむと等身大になる一枚もの――広げると、彼女自身の身体に文字や写真が層になって重なる、巨大な自画像ポスターだった。ぼやけた粗い画像(当時の画面はカクカクだった)、デジタル特有のざらついた質感、層になった文字と写真。スイス様式が嫌った「ノイズ」(画面に出るざらざら・ちらちらした乱れ)や「未完成な質感」を、わざと前に出した。きれいに整えるのではなく、機械の荒さそのものを表現にした。
ここに大事な教訓がある。新しい道具は、新しい表現を生む。 いまのWebデザイン――重なり、半透明、グラデーション、ノイズ――の遠い祖先は、この「機械を筆にする」発想にある。あなたが今ブラウザでやっている表現も、この延長線上だ。
家具まで反逆した ―― メンフィス
反逆は、紙やパソコンの中だけじゃなかった。家具やインテリアにまで飛び火する。それがメンフィスだ。
1981年、イタリアのミラノで、ベテラン・デザイナーのエットレ・ソットサスを中心とする集団が、初めて作品を発表した(デビューした)。彼らが作った棚や椅子は、機能主義の「正解」を完全に無視していた。けばけばしい色(ショッキングピンク、黄、水色)。意味不明な幾何学の形。プラスチックの安っぽい模様の板。「これ、本当に使えるの?」と言いたくなる、ふざけた見た目。
これはわざとだ。モダニズムは「形は機能に従う」と教えた。これは「使い道が先に決まれば、形はそれに合わせて自然に決まる。よけいな飾りは要らない」という意味だ。メンフィスはそれを笑い飛ばす。「役に立たなくても、楽しけりゃいいじゃないか」。 デザインは真面目な道具であると同時に、遊び・冗談・感情でもある――そう宣言した。
メンフィスの色づかいや形は、いまも80年代リバイバル(=当時の流行がまた人気になること)として繰り返し蘇る。あなたが「なんかレトロで派手でポップ」と感じるデザインの源流は、たいていここにある。
読めなくてもいい ―― デヴィッド・カーソン
反逆の一番過激な所まで来た。アメリカのデヴィッド・カーソンだ。
彼は音楽雑誌『レイ・ガン』のアート・ディレクター(誌面の見た目を決める責任者)を、1992年から1995年まで手がけた。そこで彼は、デザインの最後のタブーを破る。**「読みやすさ」**だ。
スイス様式の大前提は「正確に伝わること」だった。文字は読めなければ意味がない。カーソンはそれを蹴飛ばす。文字を重ね、潰し、傾け、わざとボロボロの質感(グランジ=薄汚れた、ざらついた感じ)にした。極めつけは1994年、退屈だと感じたインタビュー記事(歌手ブライアン・フェリーへのもの)を、まるごと記号だけのフォントで組んだこと。使ったのはZapf Dingbats(ツァップ・ディングバット)――☆や✂のような記号ばかりを集めた書体だ(絵文字みたいだが、絵文字はまだ存在しない時代の話)。中身は一文字も読めない。
ただし、ここがオチだ。彼は読みたい人のために、同じ号の後ろのページに、ちゃんと読める普通の文字で全文を載せておいた。つまり「読めなくする」のは事故ではなく、わざとやった演出だった。「つまらない記事だから読めなくていい。でも読みたければ巻末でどうぞ」――そのメッセージごと、デザインで表現したのだ。
彼の代表作が、1995年の本『The End of Print(印刷の終わり)』。デザインの本として記録的に売れた。タイトルの意味は重い。「読ませる印刷物の時代は終わる」――挑発だ。
同じ頃、アメリカのクランブルックというデザイン学校では、脱構築という考え方が広がっていた。難しい言葉だが、ざっくり言えば「完成した形をわざとバラバラに分解して見せる」こと。文字や紙面を、組み立てる前の部品に戻したように崩す。「きれいに組み上がった完成品こそ正しい」という思い込みを、わざと分解して揺さぶった。これもまた、「整った完成品」という正解への反逆だった。
だから ―― ルールは破るためにある。ただし、知ってから
ここまで見て、こう思ったかもしれない。「じゃあ、もう何でもアリじゃん。グリッドも左揃えも、無視していいんだ」と。
違う。 ここがこのクエストで一番持って帰ってほしい所だ。
反逆した彼らは、全員、スイス様式を知り尽くしていた。ヴァインガルトはバーゼルの中の人。グライマンはその弟子。カーソンも、破る相手のルールを正確に分かっていた。知っているものしか、効果的には壊せない。 知らずに崩したものは、「反逆」ではなく、ただの「下手」になる。
これは序論の「まず継承、それから理由をもって外す」と、まったく同じ話だ。スイス様式のクエストが「継承」の手本なら、このクエストは「外し」の手本。両方そろって、初めて自由になれる。典拠を持つ人だけが、堂々とルールを破れる。
見分け方
街やWebで「ポストモダン/反逆系」を見抜く目を持とう。スイス様式(升目・無表情・整然)と正反対のサインが出ていれば、それは反逆の血を引いている。
- グリッドをわざと無視した、ずれた・傾いた配置
- 文字を重ねる・潰す・散らす(読みやすさより印象)
- 派手で多い色(モノクロ+一色差し、ではない)
- 荒い質感・グランジ・デジタルなノイズを歓迎
- 装飾・遊び・冗談・感情が前に出ている
そして見抜いたら、最後にこう問う。「これは、知った上での崩しか? ただの事故か?」 効いている崩しには、必ず「何を壊しているか」が見える。その目を持てたら、このクエストは卒業だ。
譜例
棚(design-gallery)で、ポストモダン/ニューウェーブ系の実例と、スイス様式の実例を並べて見てみよう。図9の左右のサインが、実物でどう出ているかを確かめると早い。
見るときのコツ:その作品が「スイスの掟のどれを、どう破っているか」を一つずつ指さしてみる。破り方が分かれば、自分の制作でも同じ手が使える。
練習・チェック
- 身近なデザイン(雑誌の表紙、音楽のジャケット、派手なWebサイトなど)を1つ選び、図9の「反逆のサイン」がいくつ当てはまるか数えてみよう。3つ以上なら、それは反逆の血を引いている。
- 「Less is more」と「Less is a bore」――この2つは、それぞれ何を大事にしているか。一文ずつで言えるか。(ヒント:片方は”本質”、もう片方は”人間味”)
- ヴァインガルトやカーソンの崩しが「個性」になって、初心者の崩しが「下手」になるのはなぜか。序論の言葉を使って説明してみよう。(ヒント:継承と、外す順番)
- 自分が次に作るものを1つ思い浮かべる。そこで「あえて掟を一つ破る」なら、どの掟を、なぜ破るか。理由を一言で言えるなら、それはもう反逆だ。言えないなら、まだ事故だ。
用語 GLOSSARY
- ポストモダンpostmodern
- 「近代(モダン)のあと」の意味。モダニズムの「正解はひとつ」に反発し、装飾・多様・感情・混沌を取り戻した動きの総称。
- モダニズムmodernism
- 20世紀前半の「飾りを削って機能を立てる」考え方。スイス様式やミースの建築がその代表。ポストモダンが反発した相手。
- Less is moreレス・イズ・モア
- ミースが体現し有名にした標語。「少ないほど豊か」。飾りを削るほど本質が立つ、というモダニズムの精神を一言で表す。
- Less is a boreレス・イズ・ア・ボア
- ヴェンチューリの反論。「少ないは退屈だ」。boreは「退屈なもの」。削りすぎると味気なくなる、という主張。
- ニュー・ウェーブ/スイス・パンク・タイポグラフィNew Wave / Swiss Punk Typography
- ヴァインガルトが始めた、スイス様式のグリッドをわざと崩す表現。字間を散らし、文字を重ね、写真を混ぜる。「パンク」は1970年代の、決まりごとに反抗する荒っぽい音楽。その「ルール破り」の気分を借りた呼び名。
- グリッドgrid
- ページを縦横の線で等間隔に区切った、目に見えない方眼。スイス様式の核で、反逆者たちが「わざと無視する」対象になった。
- サンセリフsans-serif
- 文字の線の端にある小さな飾り(セリフ)が無い、無表情な書体。スイス様式が好んだ。
- コラージュcollage
- 写真や紙片など複数の素材を切り貼りして一枚に混ぜ合わせる手法。ヴァインガルトが整然を崩すために使った。
- ノイズnoise
- 画像や画面に出る、ざらざら・ちらちらした「乱れ」。本来は消すべき欠点だが、グライマンらはそれをわざと表現として使った。
- マッキントッシュMacintosh
- アップルが1984年に出した初期のパソコン。グライマンがこれを「デザインの筆」にして、デジタル表現を切り開いた。
- メンフィスMemphis
- 1980年末に結成され1981年ミラノでデビューした、家具・インテリアの集団。ソットサスが中心。派手な色と奇妙な形で機能主義を笑い飛ばした。
- 機能主義functionalism
- 飾りより「役に立つか」を優先する考え方。標語は「形は機能に従う(form follows function)」=用途が先に決まれば形は自然に決まる、よけいな飾りは要らない、の意。メンフィスはこれをわざと無視した。
- アート・ディレクターart director
- 雑誌や広告などで、全体の見た目・デザインの方向を決める責任者。カーソンは『Ray Gun』でこれを務めた。
- グランジgrunge
- 薄汚れた、ざらついた、ボロボロした質感のこと。カーソンが読みやすさより印象を優先して多用した。「荒い質感」や「ノイズ」とほぼ同じ家族の言葉で、特に「わざと汚した・古びさせた」ニュアンスが強い。
- ディングバットdingbat
- 文字ではなく、☆や✂などの記号・装飾だけを集めたフォント。カーソンが「読めなさ」を作るのに使った(Zapf Dingbats)。当時まだ絵文字は無い。
- 脱構築deconstruction
- 完成した形をわざとバラバラに分解して見せる考え方。クランブルックのデザインが取り入れ、「整った完成品こそ正しい」という思い込みを揺さぶった。
- クランブルックCranbrook
- アメリカのデザイン学校(Cranbrook Academy of Art)。1980年代に脱構築的なタイポグラフィを広めた。
- リバイバルrevival
- 昔のはやりが、形を変えてまた流行すること。メンフィスの派手な色や形は、いまも80年代リバイバルとして繰り返し蘇る。
掟 RULES TO CITE
- 崩す前に「どのスイスの掟を、なぜ破るか」を自分の言葉で言えるか確認する。言えないなら崩さない(それは反逆ではなく事故)(典拠2・3・6)
- 崩すときは破る掟を一つに決めて意識的に外す。グリッドを無視する/文字を重ねる・潰す/色を増やす/荒い質感を出す――どれかを狙う(典拠3・6)
- 全体が整いすぎて味気ない時は、一か所だけ意図的に崩して感情・遊びを入れる(less is a bore)(典拠1)
- 新しい道具のクセ(重なり・半透明・ノイズ・荒い質感)を消さず、その時代らしさとして活かす(典拠4)
- 「役に立つ」だけが正解と思い込まない。遊び・冗談・派手さも目的になる。削りすぎていないか一度疑う(典拠5)
- 崩す前に、背景へスイス様式の整然(升目・左揃え・一書体)を必ず置く。崩しは「対比」で効く(典拠2・3)
典拠 SOURCES
- Robert Venturi『Complexity and Contradiction in Architecture』(Museum of Modern Art, 1966) ― 「Less is a bore(少ないは退屈だ)」を記し、ポストモダンの口火を切った
- Ludwig Mies van der Rohe ― モダニズム建築の代名詞となった標語「Less is more(少ないほど豊か)」を体現し有名にした(言葉自体は彼の発明ではなく、源流はR.ブラウニングの詩、1855)。反逆の的になったスローガン
- Wolfgang Weingart(1941–2021)― バーゼル造形学校(Schule für Gestaltung Basel)で1968年から教え、内側からスイス様式を壊した。New Wave/Swiss Punk タイポグラフィの父
- April Greiman ― ヴァインガルトの弟子。1984年にMacintoshに出会い、『Design Quarterly』No.133「Does It Make Sense?」(Walker Art Center 企画/MIT Press, 1986、編集ミルドレッド・フリードマン)で、MacDraw+MacVision(映像のデジタル取り込み)を使った折りたたみ式の等身大ポスターを制作。コンピュータをデザインの筆にした先駆者
- Ettore Sottsass を中心に結成された Memphis(メンフィス)― 1980年末に結成・命名、1981年9月ミラノでデビュー(初公開)。けばけばしい色と意味不明な形で機能主義を笑い飛ばした
- David Carson ― 音楽誌『Ray Gun』のアート・ディレクター(1992–1995)。読めなさを恐れないグランジ・タイポグラフィ。1994年、退屈と感じたBryan Ferryのインタビューを記号フォント Zapf Dingbats で組み、同じ号の巻末に読める全文を載せた逸話で知られる。著書『The End of Print』(1995)
- Cranbrook Academy of Art ― 1980年代に脱構築(deconstruction)的タイポグラフィを広めたアメリカのデザイン学校